どうかな

煙か土か食い物 舞城 王太郎 5点(10点満点中)
を読んだけど、どうでもいいかな。ひとことでいうと家庭内暴力の話だと思った。家庭内の暴力的ないざこざを読んでいるうちに、人間ってこんなことばっかりやってんだよなと人生を達観してきて、カタルシスがなくもない。でも、別に読まなくてもよかったかな。
煙か土か食い物
あらしのよるに 2005年【日】 5点
○人も豚をペットで飼ったりするので、狼(ガブ)とヤギ(メイ)の友情というのは、ありえないことではないような気がする。しかし、なにか不自然でいやな気持ち。ガブは腹が減ってくると本能でメイを食べたくなる。メイはガブを信じているが、うすうすそんなガブの本性に気づいているようだ。底流にある食う食われるの関係の上に友情がなりたっている。まるで、競争社会でお互いにつぶし、つぶされる関係でありながら、表面上、友情があるようなそぶりをしあっている不信だらけの人間社会の縮図のようで見てていやになってくる。
○人間が豚を食べられるのは、豚が知性を持ってないからだろう。知性を持って話す豚を殺すなんてありえない。ありえたとしても、かなりきびしい話で、友情とかいわれても、こんな残酷な世界を描いた話はない。考えれば考えるほど後味が悪すぎる。それに、食うために殺すという本性、それを超える愛というテーマは、視聴者自身が絶対解決できないテーマでみたあと不全感しかのこらない。視聴者自身は問題をぜんぜん超えられないでおきざりになってしまう。菜食主義者にでもなればいいのかもしれないが、ほぼ、無理ではなかろうか。
○絵は、童話風で、悪くないし、駄作ではないと思うが、なにか素直に感動できないところがある。たぶん、上記のような理由もあるのだろう。
■あらすじ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%88%E3%82%8B%E3%81%AB#.E3.81.82.E3.82.89.E3.81.99.E3.81.98 参考
ある嵐の夜、1匹のヤギ(メイ)が、山小屋に避難してきた。同様に1匹のオオカミ(ガブ)も同じ山小屋に避難してきた。真っ暗な闇の中、かぜ気味で鼻の利かない2匹は、互いの正体を知らない(勘違いした)まま夜通し語り合い、意気投合する。そして「あらしのよるに」を合い言葉に、翌日再び会う約束をする。
 翌日、2匹は互いの意外な正体を知ることになるが、喰う者(オオカミ)と喰われる者(ヤギ)の関係を超えて、2匹は「ひみつのともだち」となる。しかしそれは、互いの種族にとって、決して許すことのできない禁断の友情であった。
 ある時、ガブと逢う約束をしたメイに、友だちのヤギ(タプ)が心配だからと、一緒についてくる。ガブにとっては、メイは友だちだが、メイの友だちは、美味しそうなエサである。結局、メイの友だちを脅かして逃がし、事なきを得ることになる。
 やがて、2匹の関係は、ヤギとオオカミの、お互いの集団にバレてしまう。喧々諤々の末、お互いの集団では、自らの利益のために、メイとガブの友情を利用して、相手方の情報を手に入れてくるように、2匹に命令する。
○メイとガブは、ヤギとオオカミの、それぞれの集団内での立場よりも、お互いの友情を大切にして、2匹で死のうと川に飛び込むが、結局、二人とも助かり、山を越えて逃げることを決意する。しかし、オオカミたちの群れが裏切ったガブとメイを殺そうと追いかけてくる。雪山で遭難し、雪穴のなかで、メイは自分を食べてガブに生き延びてくれという。次にあったら、おたがい知らないもの同士で、ガブはメイを食べるということにして、別れを告げてガブはでていく。しかし、ガブは、やはりメイを食べるなどと考えられず、雪山を草でもないかとさがしていると、オオカミの群れを見つける。ガブはメイを守ろうとオオカミの群れに突撃して死闘するが、そのときなだれがおこり、ガブもオオカミたちものみこまれてしまう。春になり、生き延びていたメイは、野原にいると、オオカミがでたと動物たちがいっている。メイは、ガブだと直感しガブに再会するが、えさとしてかまれて、傷だらけになり巣穴へ運ばれる。ガブは、記憶を失いメイは、ただのヤギでしかなかった。ガブは満月がでれば、それを鑑賞しながらメイを食べようというきめていた。メイは、嵐の夜にであわなければこんなことにならなかったとつぶやいていると、「嵐の夜に」という言葉にガブは反応し、ガブはすべてを思い出した。ガブとメイに、またもとのように友情がよみがえった。めでたしめでたし。