「起承転結」というのは、手垢がついて古臭いようで、意外と話の構造の標準形として今も意識することが多い。「起」で問われるのは、「つかみ」であって、冒頭にびっくりさせるようなシーンをもってきて、興味をおこさせることが必要だ。このため、クライマックスの始まりを冒頭にもってきて観客をつかみ、そこへいたる回想のシーンがつづく、時間が逆行する構成になっている作品もときどき見る。「承」では、地味な人物紹介やら、状況の説明やらが述べられて伏線がはられていく。そして、「転」がくる。たとえば、敵だと思っていたら味方だったとか、(ナウシカで、汚染された腐海は、実は、地球を浄化していた。ノエインで、敵が、一時的に記憶喪失になり、いつのまにか味方になっている)、味方だと思っていたら敵だったとか(デビルマンで、本当の敵は人間、アスカが実はサタン。神風怪盗ジャンヌで、味方の天使が実は悪魔の手下。パーフェクトブルーで、身内が、実は犯人など)。この「転」が、そのために伏線をはったり、本来、構成で頭をつかうところだと思うが、泥縄式に即席で逆転させた作品も多いのかもしれない。(ブラッド+で、金髪の堅物が、のんだくれになるが、伏線もなにもない思いつきのような気がする)。「結」では、だいたい、登場人物が全員集合し、名所旧跡が舞台になる。スペクタクルな、見たことも無いような壮大で、優美な光景、激しい対立とアクションが用意されているはず。それで、決着がつく。しかし、たいてい、終わったと思わせて、もう一回結末が用意されている。死んだと思った敵が、また立ち上がって襲ってくるとか(ダイハード)、根絶したはずのウィルスがまた、どこかで、感染しはじめていたとか(アンデッド)。