日本人は倫理や論理が欠けているといわれる。なにか、違うような気がする。

 倫理に関しては、確かに日本人は一般的に無宗教だし、浄土真宗のように戒律をなくしてしまった仏教もある。これという道徳がないので、武士道をもちだしてきたり。しかし、良心がないわけではなく、日本は、治安はいいほうだ。倫理がかけているのではない。ある特定の宗教という確固とした信条をもちださないだけなのだ。
( 共同体というまわりの環境にあわせることが倫理になっているのだろう。環境が変われば、それにあわせて道徳も変えていく。郷に入っては郷に従う。それも、村八分、仲間はずれ、いじめという罰則があるから従うのであって、そういうのがない一時的な場所では、旅の恥はかきすてで倫理はなくなりがち。ネットの匿名空間のようなもの。共同体の崩壊と匿名空間の出現で、倫理感が弱くなっている面はある。いじめが怖くて悪いことをしないだけなのか。前述と矛盾してくるが、倫理感の欠如が目立ってきたとはいえる。ただ、全体的に見ると日本は治安がよいので、他の国に比べて道徳が欠如しているように見えない。ただ、倫理感を持つこと=良いことなのか、という疑問も浮かんでくる)

 倫理に関係して、規則にしても、日本くらい列車が時刻どおり運用されている国はあまりないといわれているくらいだ。時間厳守とか几帳面さでは、トヨタにくらべて、GMやフォードが劣っているようなのを見ても、日本人はかなり勝っているように思える。

 日本語は論理が不足しているといわれる。しかし、主語がないわけではなく、わかりきっているので、省略しているだけであり、主語を明確にしようと思えばいつでもできる。会話で「あれやっといて」とかあいまいないいかたはあるが、生活上の文脈から、十分意味がわかるから省略しているだけで、別に非論理的なわけではない。日本語で論理的な文章は十分に書ける。だが、主語を、必要なところなのに、つい省略してしまい、読み手が混乱することはあるだろう。しかし、それなら英語だって非論理的だと文句をつけようと思えば、いくらでもできる。THEY は、「彼ら」なのか、「彼女たち」なのかそのままでは、性別が不明だ。

 西洋にくらべて、契約書がなく、口約束だけとか、ものごとを細かく追求しないで論争しないという面はあるだろう。これは、宗教という信条をもちださないことにも通じるだろう。細かいことを、あいまいにしておくことで、相手とのちがいや対立を明確にしない、相手を傷つけない、相手への不信感を表明しない。そこには、傷つきやすさや、甘え、相手との力関係において、いじめをさけるという心理が、あるかもしれない。保身のためというのは大きいかもしれない。自分の立場をあいまいにしておいたほうが、場にとけこみやすく、出る釘が打たれることもないだろう。

 日本に甘えの文化があることは、一部直感的に正しいような気がする。しかし、これも例外が多い。幼児虐待やいじめ自殺とか悲惨な事件は毎日、山ほどおこっている。また、ものごとを追求しないで日本の技術がこれほどすすんでいるわけがない。

 なので、日本人に倫理や論理が欠けているという話になるたびに、うそっぽく感じる。日本は甘えの文化というのも追求する価値はあるが、例外が多すぎるなと感じる。