ねたばれ

●小説 コンセント 田口ランディ   不可+
コンセントコンセント


○映画とほとんど同じ。奥が深そうに見えて、ステレオ・タイプだったり、嘘っぽかったりしてつまらなかった。(なので、以下に書いてあることは、いいかげんである)
○地球的、霊的エネルギー → シャーマン → 一般人 というふうにコンセントがつながる。
○人間関係、社会のエネルギー → シャーマン → 社会の人々 という循環したモデルもあるかもしれない。
○コンセントは、無意識のアカシック・レコードとつながる人々の意味でもある。シャーマンの素質をもった人々である。彼らは人間の感情に感応しやすい。自我が強ければ社会に適応できるが、弱いと他者の悪意に感応したりして狂人になる。他者への感応を遮断してしまうと人間嫌いになる。その感応能力によって他者を癒すことができる。他者にとってプラグを差し込むコンセントである。
○トランスとは、コンセントが抜けること。この場合、シャーマンがプラグを持ち、コンセントは霊的エネルギー、大地のエネルギーになるのだろう。エネルギーとは異物であり、外的刺激である。コンセントを抜くと刺激のない状態になる。トランスでは、肉体から魂が遊離する。幽霊のように魂だけになる。世界と自分の境界があいまいになる。内的世界との融合だ。他人の感情とシンクロしやすい感受性が強い人にとって肉体の刺激が遮断されるのはむしろ幸福である。死にちかい涅槃状態。
○兄について。プラグを下げてコンセントを求めている。自発性トランスができる。家族が望むように生きて、その努力の見返りに愛情を要求する。その要求は高すぎて誰も支払えない。結局、兄は家族に恨みを抱く。そして、死ぬ。
○「私」について。その妹。コンセント役。  
○「私」は、ファザコンである。権力のある男に飢えている。誰にも満たされなかった。そんな欲望が年上の助教授へと向かったが彼は理想の父親でないと気づき、結局、幻滅する。
○「私」にとってコンセントとはヴァギナである。他者のペニスがプラグ。そして、互いにつながり、「私」は癒しを供給する。
○兄も「私」も、電圧をおとしてプラグ(コンセント)をほとんど切っていた。兄の死をきっかけに、「私」のコンセントがしっかりと入り電圧があがり、ふつうの人のOSとは別のOSが動き出した。自我が「解体」され新しいシャーマンが生まれる。
○大地のエネルギーをシャーマンが受け取り、波動を変換して人々のプラグへと流す。そのとき自我が耐えられないので別人格を借りてトランス状態にはいる。しかし、「私」は新しい巫女の形として自我を持ったままシャーマンの機能をはたせるらしい。
○P187から 山岸「カウンセラーと寝るってことは、近親相姦や。父親と寝るのと同じや。傷ついてんのはお前の方やで」
カウンセラーにはクライアントが女性のとき、父親への感情が「転移」するからだろう。
○P188 私「あなたって誰なの……?」山岸「オレか、オレはそうだな、十年前の未来だ」「未来は過去の相似形や」
過去は反復する(反復強迫?)。言い方がおもしろかった。

●サムライ、サムライと最近うるさすぎ。日本人の大半は農民だった。
「ラスト・ノウミン」とか「ノウミン・チャンプルー」とかなぜつくらないのか。
と山田さんがいってました。